Blank Slate

というのはピンカーの最新版だそうです。まだ邦訳ないようで、読まないとと思います。
「眼と精神」は、いかに考えたらいいのか、もうこういう包括的な議論はできないのではないか、というか、60年ぐらいの心理、哲学とはくらべものにならないくらい、学問は細分化していて、ここで書かれていることはその後、アフォーダンスなり、ニューロサイエンスなり、臨床心理なり、哲学なりに細分化されて、例えば鏡像段階から<他人に見られる私自身>を獲得する、といったことさえ、ああこれじゃあ、コーエンの心の理論あたりだなあとか、失語症だったら、まさにニューロサイエンスだし、ラマチャンドランの幻肢やカプクラ妄想の理論だなあとか、これと精神分析メラニークラインやましてやオイディプスコンプレックスなんていっしょくたに論ずることはできないのではないかとため息が出てしまいます。
この本はコレージュドフランスの心理学概論と児童心理学の講議だそうですが、こういうことと哲学が「なぜ神的なものが否定され否定されても世界中の文化に普遍的にあらわれるのか」を問うことができると同じ人間が本で書ける時代をうらやましいと思いました。今は無理ではないでしょうか。それは細分化されすぎているから。
臨床の論文でもないでしょうね。
だとしたらこうした趣向の本は一般書で求めるしかないというところなのでしょうか?
ものの見事にはまったと言うべきなのでしょうね。