日野啓三さんは   2004/01/26 (月) 02:51

お亡くなりになられていたそうですね、去年。残念でございます。

H5年頃に雑誌に載ったサカキバラ少年の調書を読みましたが、へたな小説よりも凄い恐ろしさを感じました。
彼が(自分でも)「原因が分からない」と言ったところを読み取ることは可能ですが、これは法的な処罰の観点から見ても扱えないだろうし、(精神科医の)鑑定結果でも(異常な)「性欲の発露」としか出ないような気がする。
それ以外は無意識を汲み取れないのではないか、と。それはそのための言葉を持たないのと同時に「無い」ことのなってしまう。

今ちょっと自分が寝ている状態なので、満足に書けないのですが、なんというか入江氏の「バオイモドキ神」に関する小冊子でははサカキバラ氏本人が「バオイモドキ」を「捏造」と言っているのでその点を考慮しないといけないだろうな、とは思ったのでした。

あとは文学上の「狂気」と実際の医療の違いなどですけど、これはまあいつも考えていることではあったので省略。
本当の「壊れ方」というものはもっと感慨も思考もなくゆっくりと崩壊していくもので「劇的なものでもなんでもない」というのはその通りでしょう。
「接続されたこころ」といった問題でインターネット社会のスキゾ化を表してもきっとそれは「ゆっくり感覚と身体の恣意性を壊れていく多くの人々」の本態とは違うものなのかもしれないのです。