魔女の蝋燭、深夜4時   2004/01/25 (日) 05:16

頂いた透明なアロマキャンドルを二つ点けあと一つはもともとあったろうそくのしんを巻きつけて点灯。はじめにすでにマイスリーとSNRIは入っている。どくだみさんからいただいた天の香り乳香の入ったような沈香を勧め、燃やした台墨の上で燻す。ビニール系の匂いが立て込める。透明アロマキャンドルの匂いもある。日は3つつきかなり明るい。私は墨に火をつける際指をやけどしてしまうし、リップを塗ってもひりひりして治らない。燃え尽きた同僚さんからお別れに頂いたアフタヌーンティのしゃれたインセンスも墨の上で燃やして、その間もわたしは新しいそうろくの芯や水晶を燻したり古い蝋燭を砕いたりといろいろ部屋中をめぐるましく動く、マイスリーのせいで足元及ばないし動作ものろいし、やけどにはなりそうになる。けれどこのしっぱいしそうな焦燥感の中で、回らない頭を駆使して魔術的な祭壇を用意していることがなんともわたしに生気を与えてくれるものか。どんなにひとが馬鹿にしてくれていても。客観的な僕の成績が馬鹿であっても、魔術的な関心が馬鹿げた実効性の無いものであっても、僕にとっていまこの不思議な心理状態の中である秘儀のための準備を行うと言うのはとてもあたしに命を与えてくれる。
いまこの抑うつでどつぼで、感動も、動くこともかったるくなってしまっているわたしにとって、この身体がこけないかなぁと思いながら蝋燭3本水晶、御香を用意することが、生命を何よりも生命を与えているのね。

こういうときにぴんと来たことがらはたとえ怪しげなことであっても、追求していくべきものであるみたい。こうやって何が大事なものなのか、世間体を超えて気づかせてくれることがある。わたしはこのメッセージを素直に曲解しないでうけとっていく、このことが大事なんだろうな。
これが多分私にとっての魔術的儀式なんだろうと思う。マイスリー入っているときはASCは絶対にいくらか入っているからね。
でもこういうときのお達しと言うのは、いわゆる世間一般のお勧めとは違ってきちゃうことも多くて思案のしどころだけどね.

でもこんな魔女ごっこは非常に楽しいです。 


そうではなくていいたかったのは、岡山大学で数理物理をやっていらっしゃるような方が「心理的自己防衛」A.クロウリーがばがば読んでいらっしゃるらしいのでこれは魔女も活躍できる橋梁もあるかな、と思ってしまいます。わくわく。
でわ
                                  ちょっとこれには後談弾がありるのかの数理系の方たちに「ダイアンフォーチュンの」心理学的自己防衛を理解したうえライプ二ッ信者、多原始宇宙
論の可能性お心理的にも受け入れていられる。         


この数行の間に、マイスリーとビールの為かやはた百栗が多く失敗の多い女がゆらゆらゆらゆらしながら今の自分たちの狂乱の書いていらっしゃる。


わたしはこのぐらいでは大丈夫ダロウトイウ 酒の量しか読んでか行けいけど、完全に一人出来上がっています。家の人間はとってもできている60年安保の人なのでこうやってじきってもあまり責めないのです。そしてどうしてわたしがこんな場内なったのか、にはあまり手を触れてきそうとは着ません。なにやらい異常で、なんとなれは感情的な部分でヒスレリックは反応おすることを家はやりません僕は60安保に飼われた引きこもりの呪縛のせいななおかとはおもいますが、よく分かりません。

ニュー赤や、母の60年代安保やそのあとの70年代安保とバブルと崩壊とデフレの時代はしっかりと自分の中で見切りをつけておかなかったのではなからないかとおもってしまう。
それが、なんなのか、まだはっきりとは答えられないけれど。

でもわたしはこれらの所謂全共闘とその後の時代についてではなくて、現代批評や、社会批評が精神病概念について誤った表彰を与えてしまったほうがよっぽどまずいとは思うけどね。

いま科学と、心理学と、精神医学と、精神病理学と、人類学を俯瞰するこころみ、なんてそう簡単には出てきませんね。出てきても学会、医学会、医局に反対させる場合も多いでしょうね。