今日は朝早く起き、気分が良いのです   2004/01/27 (火) 03:36

KAPIBARA2004-01-01


11時の突き立つ氷の刃の朝の光を浴びたような、お目覚め目覚まし蛍光灯なんて目じゃないような強烈なルクスの光を浴びて、今日は私はなんとすっくりと11時ごろに目が覚めたのです。

こんな良い朝は不敵なことをしたり考えたりしてだいなしにはしなくない、と思ってしまいます。
今日は朝から否定てきな言葉は言わず、自然と自分の動きに合わせてどんどんものごとが進んでいきます。

あたしがどんな感じの臨床科/或いは医師/文化医療学/文化人類学/認知心理/進化心理学/神経心理/といった多くのオルナタナティヴな文化のなかですたんすをもというとしていることは実は実にクリアーな光のの元にあの朝のまぶしさの上にはっきりとうえつけられていて、それは余りに完璧で私たちを拘束するので驚いているのです。いつも、


こいうときのお達しはいつも疾風怒濤の速さで理解できないけれどでも皆意識が下がっていてもなんとか理解して行こうとするんだよね。

こんなときにぱっと背景のようにGBMのような映像というかイメージが先鋭に引きちぎれた断片のタヨタワせて置いている

そしてロイドパークの歩哨が乗っていた馬の匂いとそのグリーンの道が一瞬「ロンドンへ」とおれを追い立てていく。
あのときちぎれたロンドンの映像の紙切れが泳いでいったとき、おれはあの湿った黒土と長い牧草の匂いを頭に嗅いだのだ。

おれはもうそのとき、絶対にこの土地に、このにおいのする土地に言ってやろうと決めておた。

騒ぎはすぐ終わった。だいだいこんな乱痴気騒ぎの位相の空間を楽しむのはマを錠飲んだ後だが、聞き始めるのは40分後ぐらいだ。
そのあいだ、ふぃっとした日常でやろうとしたことがいちちちうまくいかなくなってしまう。まるで膜がかかったようにASCでみえるものはいつも上の世界ではゆがんで見えるので、水中でまっすぐ手を伸ばし棒を掴むことができないのと同じことなんだ。上のはっきりした世界ではあたりまえに堅固なももごとはASCの中では2重3重にぶれて正体掴むことが大変になってしまうのです。

でもこんなものも何分とは続きません。実害はないのです。
多少時間と疲れが見えますがね。
下から来たものをさあーっとやりあったら、そのまま戻って日常の生活が始まります。これは薬の続く間ほんの1時間ほどです。
でもそのときふっと異物として入ってきたASCの小さな悪戯の攫みは永遠に持っておくべきである場合も多いですから。
だっていつかロンドンに行くのかもしれないのですから。