今回の事件について

自分がリベラルであるということをはっきり認識しました。
今回の人質事件は時が経てば忘れていくような事件ではなく、ひょっとしたら日本の憲政上大きな隠れた転機になるのかもしれない、と5。15ほどではないですけど、この50年の主に9条にまつわる問題が大きく変化していくことになるのではないか、と。
いまではそんな2項対立など感じられもしないほんわかした流れですが、一瞬やはり保守とリベラルの厳しい断絶とお互いへの差別が生まれそうな不陰気を感じて、あの50年前や浅間山荘のころのくらい調子を思い出しました
。あのころ青春だった母を長らく軽蔑して育ちましたけど、今回のこの同じ日本人なのにお互いの無理解、断絶のふかさ、激しさにその当時を思い出してしまいそうになってしまいました。

日本人のうちとそと、の感覚の話でもないでしょう。

フランスのルモンドがこの批判(クリティーク)にはサンクション(罰則)の響きもる。と書いています。

何よりもまず一番優先されるのは、自国民の保護、でしょう。
いかなる人間であれ、状況であれ助けようとすることは国務の最大の責務でしょう。
自己責任が必要なのはもちろんですけど、非戦闘区域で退避勧告がでていた、何ヶ月前は通れた場所を勧告が出たからといって、結局危険地域にいることもたちに合うためには出かけざるを得ないでしょう。

NGOができること。実はここをもう少し自覚を持つ必要があることは確かでしょう。
ただ、批判が自衛隊派遣擁護を意図しているということは見つめた方がよい。

それと時期をねらったかのように自民党の9条改正案が出されています。
これはひょっとすると日本軍が組織され、外国の紛争解決のための武力の行使まで行くでしょう。もうこういう流れになっています。
自己責任の批判の中にまぎれて実はさまざまな意図があることを読み取って下さい。
政府とは何か、国権とは、外交関係の中の軍隊とは、そして憲法って?です。