これだと教唆・幇助は

免れないかも知れない。

http://homepage3.nifty.com/machina/r/winny.html

著作権侵害をユーザーがしていることが確実だから。

争えるとすれば、著作権法自体の違法性??

(このサイトはクリエイティブコモンズに入っているから大丈夫っぽい。。)

クリエイティブコモンズは以下↓

http://creativecommons.org/

京都行き

さっき帰りました。
日にちを一日間違えたため慌てて準備して仕事後、新幹線で京都に昨日着き、滋賀で受験、その後竜安寺に行ってきました。
いやー修学旅行ばかりで、、、、、。街中が学校状態。
清水まで行ったのですが、余りの雨に門まで来て断念しました。
竜安寺立命館大学のそばで立命館をはじめてみました。
私立大学はいつもきれいですよね。。
滋賀もきれいなほうですが、先日行った香川は。。。。
国立の設備の悲しさはもうそういうものなんですが。。。

これはMIXIでの日記を移植したものです。

香川行き

香川はやはり、意外とアートが熱い。>なにが「意外?」

試験が12時に終わった後、「さてどこに行こうか」と考え、市中に戻って、直島アートミュージアムか、イサム・ノグチ庭園美術館かとこかへ行こうと思ったのだが、直島へはフェリーで1時間かかり無理ではないかと諦め(イサム・ノグチ庭園美術館は予約制)高松市立美術館へ行こうとレンタサイクル(一日100円。これは素晴らしい。高松の自転車の多さには一昨年来てびっくりしていたが、なるほど条例もあり(こういう条例は歓迎ですね。今住んでいる市では駐車違反の車は勝手に持っていかれて引き取りに2000円かかる。そして駐輪場は有料になった。それは条例があるからだが、勝手に金銭を徴収する条例を安易に作られても困るわけで、そんなに市民に金銭的負担を掛ける条例をぽんぽんつくっていいものかと思う。条例の有効性というか、まあ法体系の中でどういう強制力があるかという問題は常に青少年保護育成の都条例の問題みたいに議論になってきたわけだし))を借りへろへろと市美術館へ行くがそこのパンフで港の波止場跡のギャラリーでLOCOさんという方の「紙コップアート」なるもののワークショップがあることを知り、行くだけ行ってみよう自転車でへろへろ出掛ける。

同じく高松市美術館で拾ったパンフに「アブラモビッチ回顧展」なるものの案内があった。

―そこは―使われない波止場を改装して、ギャラリー、カフェ、ヘアサロン、アジアン雑貨屋などなどが集まっているスペースでした。ワークショップはまだ空きがあり、「どうぞ参加してください」と言われましたが、紙コップ100個ほどで作ったゴルフボールのような「被り物」を作って、飛行機で持って帰る気にはなれず、ビデオをしばし見た後、「アートというものは結構お気楽に行われるものなのだなあ」などど感想を持ちました。紙コップ(正確にはプラスチックでできたコップ)をホチキスで止め、丁度正100面体のようなものをつくるような格好です。これを被ると誰が誰だか匿名性が生じるのだそうです。)アートなるもの、明日は高松港の波止場でこれを被って茶会だそうです。機会のある方は見てみて下さい。

 その後、波止場の角に置かれた、水鉢の中にある地帯類のような植物に感動し、この正体を探ろうと入り口に売り物の植木がある花屋らしき店に入ったのですが、実はカフェでありまして、そこのある寄植、鉢がまた素晴らしかったのです。
 なんというかシュスランというナンバンギセルのような蘭の鉢植えや、多肉植物の寄植えなのですが、、なんといったら良いのでしょう、黒地の陶器の鉢にミズゴケで丸められた地のせいでもないのでしょうが、植木にエロティズムがある。
しかも香川だけあってお値段も御手頃とあって、是非手に入れたかったのですが、自宅でもあるし飛行機で持って帰るわけにもいかず断念。しかし、ああいう植木を家に飾れるようになりたいと、夢が膨らんだのでした。
作者の名前を聞いたのですが、お花をやっている地元の方で、名前が出ているわけではないとのこと、なかなかセンスありました。。植木に色気を感じるのも珍しいことですし。。。

 そのカフェもトタンの建物をリフォームし梁の見える吹き抜けの屋根、屋台骨剥き出しの材木の間に白い漆喰を塗り、証明はすべて間接照明というカジュアルかつアジアンチックな仕上りになっており、なかなか素敵な建物でした。
寄植えの作者さんについて色々聞いたため、店員さんに「お仕事ですか〜」と聞かれましたが、すいませんまったくの素人です。ごめんなさい。

そこのカフェでまったりベトナムパフェ、cheを味わいつつふと先だって手に入れたパンフを見るとアブラモビッチ展は丸亀の猪熊現代美術館で5月30日までやっているそうではないですか。ここで丸亀は実は高松に近いことに気がついて、アブラモビッチ展を見て7時15分の飛行機に間に合うかもしれないと考え、急遽会計を済ませ、自転車を5分程の高松駅に走らせ、いろいろ美術館に電話を掛けたりして調べるものの、どうも間に合いそうにない。そのとき4時半。やはり快速でも25分掛かる丸亀に行って帰って空港に行くには間に合わない。
いっぺん実物は見ておこうと思っていたので、ぎりぎりで間に合わない現実に歯がゆい思いがするものの、いかんせん時間は間に合いそうにない。近いと思うもののそれなりに隣の市であり遠い。

しかたなく諦め、港を散歩に出掛ける。
瀬戸内海の眺めはいつも懐かしく、郷愁を誘う。
低く、しかし丸かったり急峻だったり変化に富んだ海岸線の山容、どこにもない穏やかな波、潮の香りというよりは油の混ざったような生活臭のある海の匂い。。。

湿気にけぶるようにぼやけた日のひかりや、激しく行きかう船やその他の小さな船たちの多さ、造船所のドックやフェリーを見ると因島の様子を思い出すからだろう。

日立のような太平洋の荒々しさとは違う海には刷り込まれたような懐かしさでいっぱいになってしまう。
瀬戸内海には人目で分かるような海の特徴があってそれは常に匂い立つ。

港にはちょうど海上自衛隊の掃海艇「ぶんご」の一般公開があったため、自衛隊には反対なものの好奇心旺盛な私は船に上がってみる。

甲板に上がって、高度10mあたりで高松港を一望する。
この船で海上自衛隊の船としては大きいのだろうか。しかしイージス艦などのアメリカの空母に比べればちっぽけなものだろう。この無線や、さまざまな機器を装備し、海中の機雷を取り払う役目のこの船の装備も北朝鮮テポドンの発射も確認できず米軍に確かめるしかないという自衛隊の装備なのだろう。

 さまざまなことを思った。
 先日の「知らないことは罪か」に繋がる。
 たぶん、2,3年後憲法9条は改正論議が出てくるだろう。そのとき軍隊を持つこと、についてどのような世論が出てくるだろう。警察予備隊以来、50年近い時が流れた。その間にあった数多い判例の数々。それが一挙変えられる。

 「知らない」では済まされない。